テスカトリポカ 佐藤究|あらすじ&感想 

「四人は言われたとおり父親の胴体を押さえつけ、リベルタが黒曜石のナイフをその胸につきつけた。切り裂き、穴を空け、骨を切り、うごきの止まった心臓をえぐり出した。」

私は小説を劇場上演を見るように読んでいます。『テスカトリポカ』は世界各地の雰囲気を感じる舞台で息のつまるような人体の切開シーンや銃社会ならではのスピード感に満ちた暴力場面が連続して演じられていて、気を緩めるひまなく幕が降りたような感覚で読み終えました。

『テスカトリポカ』では背筋が凍るような表現を何回か目にします。最初はキツいなと思いますが、この非日常のシーンが結末を引き立たせる重要な背景であることに気付くことになります。RPGのキャラクターとしても名が知られつつある『テスカトリポカ』、直木賞受賞作の一つとしてとても読み応えのある、ぜひおすすめしたい小説です。

テスカトリポカ:あらすじ

麻薬カルテルの争い

『テスカトリポカ』はアメリカと国境を接する町の場面から始まります。国境の町メキシコ・クリアカンに住むメスティーソ(インディオとスペイン人の混血)の女性ルシア・セプルベダは麻薬カルテルに兄を殺害されたことをきっかけに故郷を離れて、メキシコ各地をさまよった後日本にたどり着きます。ルシアは日本にいても兄を殺されたことによる心の傷を癒されることはありませんでしたが、川崎の暴力団幹部と結婚して土方小霜(コシモ)を授かります。ここからコシモの数奇な人生がはじまるのです。

メキシコ・ベラクルスで財を成すスペイン人にみそめられたインディオの娘リベルタは求婚を受け入れて生まれ育った村を離れることになります。リベルタは都会暮らしの中でも、アステカの儀式とアステカ神の信仰を決して忘れることはありませんでした。リベルタの夫であるカルロス・カサソラは事業を拡大していきますが、狂犬病による精神錯乱によって家族に別れを告げることもなくこの世を去ります。リベルタとカルロスの間に生まれた長男イシドロ・カサソラは父の事業を継ぎ、メスティーソの娘、エストレーヤと結婚して5人の子を授かります。そしてそのうちの1人がカルロス同様に狂犬病で死亡します。これをきっかけにリベルタは4人の孫たちにアステカ王国の偉大さ、アステカの神と儀式についてすべてを教え込んでいきます。孫たちはリベルタを通してアステカ神への信仰とアステカ王国の儀式への理解を深めていくことになります。

長男イシドロは父の事業を麻薬ビジネスに変えて富を増していきますが、麻薬カルテルから目をつけられて殺されてしまいます。リベルタはイシドロを4人の孫たちとアステカの儀式に則って弔い、4人の孫たちカサソラ兄弟はアステカの戦士として目覚めていきます。カサソラ兄弟は父親の復讐を果たした後も暴力を繰り返し、4人に宿るアステカの聖なる力が増していくことを感じながら、麻薬カルテル、ロス・カサソラスを発足させ勢力を広げていきます。

麻薬カルテル、ドゴ・カルテルとロス・カサソラスの争いは激しさを増し、メキシコ北東部の国境の町ヌエボ・ラレドで最終局面を迎えてロス・カサソラスはついに敗北します。生き残ったバルミロ・カサソラはメキシコを離れ、復讐の機会をうかがい、資金集めのためにインドネシアに滞在することを決めます。インドネシア・ジャカルタでバルミロが知り合った日本人末次充嗣は腕利きの心臓血管外科医で、筋金入りの臓器密売ブローカーでした。「調理師」ことバルミロは末次充嗣と手を組んで、復讐の資金集めのために日本に乗り込むことになるのです。

おれたちは家族<ファミリア>

日本に入国した「ラウル・アルサモラ」、「調理師」ことバルミロ・カサソラは川崎を拠点に、まずは手向かう相手を容赦なく葬る殺し屋集団づくりを始めます。「おれたちは家族(ファミリア)」という鉄則のもと、「調理師」は特殊な才能に秀でた獰猛な人間たちに殺し屋の技術と精神を訓練して最強の殺し屋集団を作っていきます。同時に末次充嗣、闇医師の野村健二とともに心臓売買ビジネスにむけた準備を進めていきます。

ある時「調理師」はファミリアの拠点の一つである自動車解体工場で飼っている、人に危害を加えることを厭わない大型犬を素手で絶命させた若者と出会います。その男は土方コシモという名前で、俊敏な動きができる大男でした。「調理師」はコシモの才能と体格に惚れ込んで自分のことを「父親」と呼ばせ、アステカの儀式と精神をいちから教え込んでいきました。超人的な身体能力をもつコシモはファミリアの一員パブロから教わるナイフづくりに没頭しながら、殺し屋集団の一員として貢献していきます。

土方コシモは「父親」からアステカの儀式と精神を学んでいきますが、アステカの神「テスカトリポカ」をどうしても理解できないでいます。そんな中で心臓移植の提供者となる無戸籍児童JUNTAの日記を代筆することになったコシモはJUNTAとの会話から、皆既日食によって黒い太陽が現れて陽炎を吐くことを知ります。「父親」からは聞かされることのなかったこの事実は、コシモがわからなかったことを理解するきっかけとなり、クライマックスにつながっていくのです。

神様への生贄

無国籍児童JUNTAの心臓摘出の日、その日は「調理師」ともっとも深い付き合いをしてきた末次充嗣が裏切り者として殺される日でもありました。事前にそれを察知していた末次は心臓摘出手術の前に手術室を低酸素状態にして殺し屋集団の命を奪おうと企みました。しかし、末次の思い通りには進まず殺し屋たちは低酸素の中でも息絶えることなく末次と争い、コシモは手術室の扉を撃ち破るとともに末次の命を絶ちます。

コシモはJUNTAを助け出しファミリアの一員のパブロに会い、警察にいく決心をしますが、多摩川六郷橋の上で立ち往生してしまい警察に行く機会を失くしてしまいます。そこに「調理師」バルミロが現れることを察知したコシモはバルミロとの対決に臨むこととなるのです。

テスカトリポカ 感想 <Novelsman Comment>

 感想1 闇の商材が実在するような。。

私は『テスカトリポカ』にある人体の一部を闇の商材として扱うことが実際に行なわれているような錯覚を感じました。日本でも30年位前までは売血が認められていて、自分の血液を売って収入源にしている方が周りにいることを知ってショックを受けたことを鮮明に記憶しているのが理由かもしれません。人命に関わる臓器の摘出を売血と同じ視点で語ることはあり得ないし、『テスカトリポカ』にある血の資本主義を正当化しているわけでもありません。

小説レビューからはちょっと脱線しますが、日本は今後ロボットとAIが広まって人にしかできない新しい仕事が増えます。社会の変化に適応できない人と適応して新しいことに挑戦できる人の違いは結局収入の差にあらわれて、貧富の差を大きくするかもしれません。売血しないと生きていけない人がいた日本に逆戻りしないような社会になってほしい、そして私は何ができるのだろうとテスカトリポカを読んだ後に考えてしまいました。

 感想2 日本人として。。

私が『テスカトリポカ』を読んで改めて興味を持ったことは、西洋の「信仰」と日本の「信仰」の違いでした。

“アステカ人は人を撃って心臓を取り出しても、テスカトリポカに捧げるのであれば正しい行いとみなす” ”カトリック教徒はインディオを殺してその土地を征服しても、イエス・キリストに懺悔して憐れみを持って接することで神に罰せられることはない” バルミロやスペイン人達は、唯一無二の神テスカトリポカやイエス・キリストへの服従を条件に人間は何をしても許される、すなわち自分の都合のいいように動くことは悪いことではない。と理解してしまうのです。勝手な見方で宗教を語る意図はありません、念のため。

一方日本人は昔から絶対神のような信仰を持たず八百よろずの神に感謝して他人をおもんばかることをよしとして育つ人が一般的です。小説の中で日本人末永充嗣と野村健二は、バルミロのように神の為という理由をもった暴力ではなく、自分のために自分ひとりの判断で無鉄砲な行動を実行し、そして自ら破滅していきます。強い意志に裏付けられて暴力を振るうバルミロと一匹狼の日本人では争う前から勝負が決まっているように思えるのです。私は日本人の優しさを誇りに思うと同時に少しばかり不安になりました。

 

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