街とその不確かな壁 村上春樹 | あらすじと感想

心の内に物語が入りこんでくる感覚です

 『街とその不確かな壁』村上春樹氏の最新刊です。私が無意識に常識と捉えている時間や身体についての理解を越え、現実離れした設定に引き込まれて一気読みでした。

 壁の内と外、どちらが現実でしょうか。時間の概念は人が人のためだけに創り出したものでしょうか。主人公の遭遇する不思議な体験が私の脳裏に映されているような、心地よい感覚でした。お勧めの一冊です。

 『街とその不確かな壁』、本の名前がすでに村上春樹作品らしさを醸し出しているように思います。あとがきによると、本書は1980年に雑誌発表された作品に手を加えた書き下ろしとあります。「ハルキスト」さん達は、図書館で40余年前の「文學界」を閲覧されていることでしょう。

 私、Novelsmanを妄想の世界に引き込んだ『街とその不確かな壁』の要点と感想について、感じたまま正直にお伝えしたいと思います。ネタバレあります。これから読もうとされている方はご留意をお願いします。

『街とその不確かな壁』

 ありきたりの生活をしている「ぼく」は、「高校生エッセイ・コンクール」の表彰式会場で隣の席の「きみ」と出会います。「ぼく」と「きみ」は文通をきっかけに親交を深め、時々公園のベンチで語らいます。

 交際を始めて一年、「ぼく」は「きみ」から長い手紙を受け取ります。その手紙は「きみ」が影であること、影であるがゆえに長く生きられないことが綴られていました。これが「きみ」からの最後の手紙となりました。

 月日が経ち社会人になっても「ぼく」は「きみ」を待ち続けます。「ぼく」は孤独な毎日を過ごしています。ところが45歳の誕生日を通過して間もなく、「ぼく」は地面の穴に落下してしまいます。

Novelsman Thoughts

 小説本文ではぼく、きみと記されていますが、この文章では私、Novelsmanが「」を付け加えました。「」は私自身と区別する以外にも意味があります。それはこの後に登場するぼくやきみに似た人物たちを強調したいと考えるからです。

 物語の「ぼく」は「きみ」に恋しているようです。Novelsmanは「ぼく」が恋する「きみ」は影ではない人と考えました。なぜなら影は恋愛の対象とするにはあまりにはかないと思うからです。しかしこれはNovelsmanの勝手な思い込みだったようです。。

 「私」は煉瓦でできた高い壁に囲まれた街にいます。この街では自分の影は分身のように離れて、話すことができます。この街に着いた時、「私」は自分の影を門衛に預けました。「私」はこの街の図書館で夢読みをしています。図書館には「君」が働いています。「君」は「ぼく」が別の世界にいる時に恋した「きみ」と見た目がよく似ています。

 「君」も「私」と同じように影がありません。「君」は自分の影がいてもいなくても興味がないようですが、「私」は時々自分の影に会いたくなります。

 高熱を出して夢読みの仕事を休んだ時、「私」は自分の影と会いました。「私」の影は「私」と一緒にこの街から出ることを勧めます。影と「私」が街から出ることができる水溜まりに着いた時、「私」は影と別れて街に残る決心を伝えました。

 水溜まりに飛び込んだ「私」の影は二度と水面に現れることはありませんでした。

Novelsman Thoughts 2

  小説本文では私、君と記されていますが、この文章でNovelsmanが「」を加えました。「私」と「ぼく」、「君」と「きみ」は同じような顔つきをしている別の人格と私の中では映ります。しかしもしかすると全く違う容姿と性格を持った別人かもしれません。Novelsmanは想像を膨らませながら読み進めます。。

図書館

 水溜まりで壁の街に残る決心をして自分の影と別れた「私」は、気がつくと壁に囲まれた街にいません。離れたはずの自分の影も戻っていて、(私)は「現実」の世界で社会の歯車として単調な毎日を過ごしています。

 ある時(私)は突然会社に辞表を出して、山深い町の図書館に職を得ます。静かな毎日を過ごしていますが、夜になると心の内に高い壁の「私」がいることに気づいています。

 (私)は山深い町の図書館の仕事を子易館長から教わっています。子易館長はすでにこの世を去った人です。それゆえに限られた人だけが子易さんの姿を見て話すことができます。(私)は子易さんと姿が見えて話すことができる一人でした。

 時折子易さんは図書館に来て(私)と話します。二人はいつも半地下の真四角の部屋で会いました。その部屋に初めて入った時、(私)は置かれてある古風な薪ストーブに驚きました。その薪ストーブは壁に囲まれた街の図書館にあったものと同じに見えたからでした。薪ストーブの炎に照らされた子易館長に影はありません。

 壁の内側にいるのかいないのかはっきりしないまま、(私)はこの世界で図書館の仕事を続けています。

Novelsman Thoughts 3

  小説本文では私と表記されていますが、この文章ではNovelsmanが()を加えました。

  子易館長と話している山深い町の図書館の薪ストーブと壁に囲まれた街の図書館にある薪ストーブ、(私)と「私」は同じストーブを見ているのでしょうか。それともそれぞれ似て非なるストーブなのでしょうか。

 ここまで読み進んでNovelsmanはようやく、「私」と(私)は繋がっていることを認めました。ということは「ぼく」と(私)も繋がっているということでしょうか。疑い深いNovelsmanはまだ確信を持てずに小説に没頭しています。。

地図

 黄色い潜水艦が描かれたヨットパーカを着ている少年が山深い町の図書館で読書に没頭しています。彼は家族とほとんど口をきかない風変わりな少年で、毎日図書館にやってきます。その少年は生前の子易館長と親しく、二人で話すこともあったようです。しかし図書館を引き継いだ(私)がその少年と話すことはありません。

 ある日(私)はその少年から封筒を受け取ります。その封筒の中身はなんと、高い壁に囲まれたあの街の地図でした。黄色い潜水艦のヨットパーカーをきた少年は(私)が高い壁の内側のことを知っていて、彼自身があの街に行かなければならないと(私)に訴えるのです。しかし(私)はその少年の願いを叶える術を知りません。

少年とのやりとりの後、図書館で子易さんと語り合った時に子易さんは“私“に言います。

”あなたはあの子のために十分良いことをなすった。彼に新しい世界の可能性を与えたのです。”(503p引用)

 黄色い潜水艦のヨットパーカーをきた少年はある夜姿を消してしまいます、まるで神隠しに遭ったように。。

Novelsman Thoughts 4

  小説『街とその不確かな壁』は全70節からなり、子易さんと(私)の関わりに27節から62節までを占めています。中でもイエロー・サブマリンの少年と子易さんの繋がりについて10節以上割いていて、少年が物語の中で大切な役割を担っていることを示しています。ぜひ注目してほしいポイントです。

 壁に囲まれた街で、今日も「私」は夢読みの仕事をするため図書館に向かっています。この街では時間は意味を持ちませんが季節は巡ります。雪解けの季節に「私」は街でイエロー・サブマリンのパーカを着た少年の姿を見るようになります。

その少年の姿を見なくなったある夜、イエロー・サブマリンの少年が「私」の枕元に来て懇願します。

「ぼくはあなたと一体になって夢読みになりたいのです。」

「私」は少年の希望を承諾して、「私」と少年は一体化します。一体化した後もいたって平穏な毎日でした。

 一方、「私」の内側にある真四角の部屋で「私」と少年はひっそりと語り合います。それは「私」に何か普通ではないことが起こる前兆でした、それは。。

『街とその不確かな壁』 Novelsman Note

私はいつもそこにいる (p174引用)

 「私」の影と「私」が壁の外側に出ようとして「私」たちの前に突然壁が現れた時の一節です。勝手なことをさせないように壁は「私」の行く道を邪魔しますが、恐れを感じない「私」は煉瓦さえも通り抜けて進みます。壁の街にいるのは、その街にいる「私」の‘安定思考(街にいると快適だよ、というような)‘でしょうか。

 Novelsmanは考えます。人の前に現れる障害を恐れ、立ち止まるのは人のもって生まれた能力と思います。しかし、同時に人は恐れることなく立ち止まることなく歩みを進めることができます。不確かな壁、安定思考を越えて一歩前に進まないと何事も始まりませんから。

意識と肉体

 Novelsmanは『街とその不確かな壁』に勝手に副題をつけました。– 意識世界と肉体世界の分析書 –

 意識世界で生きている「私」と子易さんは不確かな壁から逃れられない気がします。なぜなら私たち肉体世界の人は失敗を恐れず前に踏み出そうとする勇気をもっているからです。

 素晴らしい村上春樹作品だと思います。最後までお読みいただきありがとうございました。

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