「社会の穴」を鋭く突いてきます
小説『ロスト・ケア』は「老い」と「死」について、現代社会が抱える課題を真正面から切り込むミステリー小説です。老人ホームで発覚する殺人に検事は死刑を求刑します。しかし「彼」は世のために老人を殺すことを正しいと主張します。更に、親を殺されたことを「救われた」と考える被害者が現れます。物語は社会の道理と現実のギャップを私たちに突きつけながら展開していきます。
2016年に起こった津久井やまゆり園事件を思い出しました。実際の事件に小説を単純に当てはめることはできません。ただ多くの尊い命を奪った犯人に、この物語の「彼」をダブらせて悶々としている自分がいます。
Novelsmanは『ロスト・ケア』に出てくる言葉を引用しながら要点と感想をまとめました。ご参考になれば嬉しいです。ネタバレあります、ご留意ください。
目次
『ロスト・ケア』要点
『ロスト・ケア』引用1”正しい者は一人もいない”
大友秀樹は犯罪被疑者を起訴する検察庁に勤務している検事です。定期的に異動のある転勤族で、妻と子供に負担をかけていることを認識しています。また、大友には足腰の弱ってきた父親がいます。親の面倒を妻に押し付けて単身赴任するわけにもいかず、父親は大友の友人の紹介で富裕層向介護付有料老人ホーム「フォレスト・ガーデン」に入居することになります。
大友は学生の頃から「人の魂は悪よりも善を望んでいる」と考えています。検事の今も、どんな人であろうと持っている善性を守るために悪事は裁かれなければならない、と考えて犯罪者と対峙しています。
Novelsman Comment 1
物語には聖書の一節を引用する場面がでてきます。その一つが「原罪」についてのくだりです。「原罪」とは神に背いた罪です。全ての人間が罪を背負っているけれども悔い改めようとするのが人間、という「性善説」。不自由なく育ち、知性の高い大友検事が信じる「性善説」の危うさが印象に残ります。。
『ロスト・ケア』引用2”母さん‥‥”
「彼」はフォレスト・ガーデンで働く介護士です。ある夜「彼」は認知症の老女静江に「処置」を行います。徘徊を防ぐために手首にベルトを巻かれた静江はまるで安らかに没したかのようにベッドに全身を沈めました。
翌朝、羽田洋子は献身的に介護している母の手首が冷たいことを発見します。通報を受けた救急と警察が死亡を確認します。死体と寝室を調べた刑事は、「特におかしな点もないので年齢を考えますと自然死じゃないかと思われます」
警察が後処理を終えて帰りました。洋子は、湯船で指先まで温かい血が巡ってゆく心地よさを感じています。洋子がつぶやきます。「母さん・・・・」 でも呼び声の行き場はもうありません。
Novelsman Comment 2
自分自身の人生を犠牲にしながら認知症の母の糞尿の世話をする。親のありがたみをわかっている多くの人にとって考えさせられることではないでしょうか。。
『ロスト・ケア』引用3”ロングパス”
大友の父が入居している「フォレスト・ガーデン」を紹介したのはフォレスト社で働く佐久間功一郎でした。佐久間は大友と中高大一貫校で部活を共にした同級生です。佐久間はバスケも勉強も、自分は勝ち続ける特別な人間、と信じる自信家でした。
しかし、波に乗っていた佐久間の人生に影が差し始めました。フォレスト社が不正を摘発されて老人ホームや訪問介護の事業を継続できなくなったのです。成功することを追いかけて別の道に進んだ佐久間はマンションの上からつき落とされて命を失います。
一方、大友は別事件の家宅捜索で発見したUSBを調べています。フォレスト社から流出した顧客名簿でした。この時、大友は情報漏洩に佐久間が絡んでいることを確信しています。流出したデータには殺人事件がくり返されていることを示す鍵が隠されていました。佐久間からの「パス」を受けた大友は、事件を明らかにすることに集中していくのです。
『ロスト・ケア』引用4”人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい”
「彼」に対する任意事情聴取が始まりました。「彼」は堂々と答えます。
「ええ、たくさんの人を殺しました。僕はかつての自分が誰かにして欲しかったことをしたんです」
「彼」は自分のやったことは介護であり世のため人のためと主張して譲りません。検察は「彼」を起訴します。裁判が進められて判決が下ります。。
Novelsman Comment 3
罪悪感を持った犯罪者の善性を呼び覚まそうとする大友検事。人を殺すことは「正しい」と考えて罪悪感を持たない「彼」。勝ち負けでは言い表せない二人の葛藤が自分の中で混乱したまま読み終えました。
『ロスト・ケア』Novelsman Note
人の命は尊い、他人の生命を人が奪うのは殺人だ。と考えることは普遍の道理だと思います。
介護、福祉、尊厳死。。どれも昔から大きな課題です。どんな境遇ので人も避けられない「老い」と「死」について人の数だけ考え方があって当然かもしれません。正解にはたどりついていないながらも、その時代ごとに国なり家族なりがさまざまな策を講じていると思います。
一方で現代は、私の祖父母の時代よりお金持ちの老人かそうでないかの格差が広がっている気がしています。自宅で子供たちに介護してもらう人やそれさえもかなわぬ人から見れば、介護保険に頼らなくてもよい高級老人ホームに暮らしている人は別世界の住人に見えるのではないでしょうか。どちらの人も同じ人間で、年齢を重ねて一生を全うする時期にさしかかっているにもかかわらずです。
小説で触れている社会の穴、介護によって生まれる絶望、をなくす動きが大きくなることを期待しています。そして「フォレスト・ガーデン事件」が実際に起こらないことを願うばかりです。
私自身も孫から「おじいちゃん」と呼ばれる年齢の人間です。幸いまだ自分のことを自分で考えて行動できる余力は残っています。しかし家族に自分の「老い」ついてどう言えばいいか、まだ考えあぐねています。。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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