螺旋プロジェクトシリーズの一冊、『ウナノハテノガタ』を読みました。最初はカタカナが何のことかさっぱりわかりません。ところがいったんカタカナの意味を把握できると、話の筋がどんどんつながっていきます。
ある島に山の民と海辺の民が暮らしています。文明が未発達の紀元前時代に大地震や大津波が島を襲います。小説『ウナノハテノガタ』は、山の民と海辺の民が天災を克服しようと交わり、争いながら生きのびていくさまを描きます。躍動する展開に引き込まれていくと思います。
これから読もうとしている方に、あらすじをお伝えします。『ウナノハテノガタ』には、ここで紹介する言葉以外にも面白いカタカナ表現がたくさん出てきます。併せてお楽しみください。
目次
『ウナノハテノガタ』 あらすじ
オオクチ壁
山の民「ヤマノベ」は巨大な崖、オオクチ壁の上で暮らしています。ヤマノベが森の精霊に生贄を捧げようとしています。生贄となるヤマノベの女性、マダラコがまさに焼かれようとするとき、大きな地震が起きます。地が裂けて集落が火の海になり大混乱となります。死にたくないマダラコは森に逃げ込み、崖を下ります。
崖下の海辺にあるシオダマリ(干潟)には浜辺の民「イソべリ」が暮らしています。イソべリはヤマノベとは違う言葉を話し交流はありません。シオダマリ(干潟)で魚を採って平和に暮らしています。またイソベリの人達に「死ぬ」「生きる」「争う」の言葉はありません。呼吸しなくなったイソベリは舟で沖の島に運ばれます。呼吸しなくなったイソベリは沖ノ島でイソベリ魚に生まれ変わる、とイソベリの人は信じています。
シオダマリ
イソベリの青年オトガイは「ハイタイステルベ」の父、カリガイと呼吸しなくなった母を沖の島に運びます。「ハイタイステルベ」は、呼吸しなくなった人を沖の島に運ぶことができるイソベリの民の中で特別な人です。沖の島から戻ったオトガイがシオダマリにいると、森から二本足で毛むくじゃらの「獣」が近づいてきました。オトガイは獣をイソベリの集落に連れて帰り世話をします。獣を見たイソベリの族長アイガイはカリガイとオトガイに獣をウェレカセリの所に連れていくよう命令します。
ウェレカセリはオオクチ壁の足もとにある岩屋に暮らす預言者で、イソベリの言葉もヤマノベの言葉も理解できます。カリガイとオトガイが連れてきた獣と話したウェレカセリは知ります。獣はマダラコという名のヤマノベの女性であり、崖の上にいたヤマノベは傷を負って崖の下にいるというのです。ウェレカセリは、カリガイとオトガイにこれを伝えます。そして傷だらけのヤマノベを一時だけ集落の近くに置いてやるよう助言します。
預言者ウェレカセリは、イソベリとヤマノベが仲良く暮らすことができないことを知っています。それゆえに、ウェレカセリはマダラコに「集落から出ていきなさい」と言い聞かせます。しかしマダラコはイソベリ集落から離れません。自分を生贄として殺そうとした他のヤマノベに復讐することを考えているのです。
アマクモの森
ある日、オトガイはウェレカセリと話すためアマクモの森の洞窟に来ています。ウェレカセリは岩の壁に絵を刻みながら、オトガイに自分の知っていることを伝えます。その話しは、「コロシアイ」「シヌ」等オトガイがはじめて聞く言葉がたくさん出てくる不思議な内容でした。ウェレカセリは話し終えると、向こうに誰かいると言って葦の茂みに入って消えていきました。オトガイが追いかけていくと、穴の奥に呼吸しなくなったウェレカセリがこっちを見ています。
大地のうねり
傷が癒えた浜辺のヤマノベは、イヌを使い魚をたくさん採ってイソベリの生活を脅かし始めます。マダラコはイソベリに弓矢の使い方を教えてヤマノベと争うことを伝えようとします。しかし呼吸しなくなってもイソベリ魚に生まれ変わるだけと信じるイソベリはヤマノベと本気で争いません。ヤマノベの勢いは増しイソベリの民の数はどんどん減っていきます。
イソベリはヤマノベを退治しようと争っています。その争いに備えてマダラコとオトガイは毒を見つけようとアマクモの森に来ています。森の中を進んでいると、偶然にウェレカセリが刻んだ壁画を見つけました。なんとイソベリのとヤマノベの未来が描かれているのです。それは二人を驚かせる内容でした。
その時です。大地がうねり大きな波がシオダマリを襲います。大地震と大津波で海辺の集落が呑まれそうです。
ヤマノベのマダラコとイソベリのオトガイはこの後わかりあうことになるのでしょうか。 イソベリとヤマノベはどのように災難を乗り越えていくのでしょうか。
『ウナノハテノガタ』 Novelsman Comment <感想>
イクサ
「The first and best victory is to conquer self.(自分に打ち勝つことが、最も偉大な勝利である。)」 私が大切にしている格言の一つです。古代ギリシャの偉人プラトンの言葉とされています。
私は主人公のひとりマダラコに注目していました。マダラコは自分自身がヤマノベなのに自分を殺そうとしたヤマノベを恨んでいます。その恨み故に彼女はイソベリと共にヤマノベと争っているのでしょう。たったひとりで、復讐心とお腹の子供のために彼女は戦います。弱気になっても誰も手を貸してくれません。マダラコの行動を追いながら自分に打ち勝つことの大切さを改めて思い起こしました。
対立
小説自体は人間が争いを続けていることに注目して対立をテーマに描かれた物語です。山の民と海の民に象徴されている相容れない民族が争いを起こすことは原始の時代も現代も全く変わりません。ヤマノベのように明らかに強い民族とイソベリのような平和を好む民族が仲良く協調する世界が来ることはあるのでしょうか。一人の日本人として戦争をしてほしくない派の私です。しかし私は日本の経済はもっと強くなることができる、と争いを否定することと矛盾した考えも持っています。ビジネスは人の命に直接関らないから許されるのでしょうか?
難しい理屈抜きで一人の人間として、ひとりの日本人として責任ある行動を子供たちに示したいですね。
螺旋プロジェクト
8組9名の作家があるルールのもと古代から未来までの日本を舞台に、ふたつの一族が対立する歴史を描くシリーズです。2019年に中央公論新社の文芸誌「小説BOC」が行った競作企画です。競作テーマが示されている螺旋エピグラフ(定義)がシリーズ本の巻頭と巻末に載っています。一部引用します。
「これはたぶん、貝殻、貝」 「海のものがどうして山にあるの?海と山はまざらないんじゃないの」 「まざるとかまざらないじゃなくて、ぶつかるの。わたしたちは海のひとと会えば、衝突するからね」 海と山、両者を自在に行き来する唯一の者、争いを見届ける者がいつかそう語ったという。
これから螺旋プロジェクトの作品を通して「対立」について読み解いていきたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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