逢坂剛氏の長編小説 イベリア・シリーズ読了しました。「イベリア・シリーズ」は下記7話・12冊です。
イベリアの雷鳴
遠ざかる祖国(上・下)
燃える蜃気楼(上・下)
暗い国境線(上・下)
鎖された海峡
暗殺者の森(上・下)
さらばスペインの日日(上・下)
この小説は、実際に世界を動かした事件や戦争を軸に、歴史に刻まれた国と都市を舞台に物語が進行します。また、世界歴史の教科書にのっている実在の人物が多く登場しています。最初、スペインやヨーロッパの風景を思い浮かべながら軽い気持ちで読みはじめました。ところがいつの間にか昼も夜も時間の許す限りイベリア・シリーズに没頭していました。ここに、私がどうして心酔したのかを書き残しておこうと思います。
あらすじ
スペイン内戦後の混乱と陰謀が渦巻くイベリア半島を舞台に、北都昭平とヴァジニアの活躍を軸に物語が展開します。北都昭平は日本人でスペインで諜報活動に身を投じ、複雑な国際情勢の中で己の信念に突き動かされていきます。彼の冷静な判断力と行動力は、幾度も危機を乗り越え、仲間や現地の人々から信頼を得ます。
イギリスMI6の諜報員ヴァジニアは、北都と共に数々の困難に立ち向かいます。彼女の知略と勇気は、北都の行動を支え、時に物語の鍵を握る存在となります。二人は、祖国を遠く離れた異国の地で、理不尽な権力や暴力に抗いながら、自由と正義を求めて奔走します。
シリーズを通じて、北都とヴァジニアは、国境を越えた友情や愛情、そして裏切りや葛藤を経験しながら成長していきます。イベリア半島と世界が激動する時代を舞台に、二人の絆と勇気が光る壮大な物語です。
目の前に物語の場面があるような。。
「どうして «カサ・ルイス» はロホ(赤)の狼藉を免れたんだね」(北都)
「第一の理由はお料理が抜群においしいからです。そして第二の理由は、店主のドン・ルイスが内戦の間、ずっと共和国政府の兵士たちに、無料で朝食を提供したからです。」(ペネロペ)
「内戦が終わってフランコ政府になった今は、そのことで政府からお咎めを受けるんじゃないかね」(北都)
「それがそうはなりませんでした。第一の理由は、」(ペネロペ)
「料理がおいしいこと」(北都)
北都が先回りすると、ペネロペはぷっと吹き出した。ほとんど初めて見せる、屈託のない笑顔だった。
ペネロペは、さりげなく周囲に目を配り、北都の方に顔を寄せた。
「≪カサ・ルイス» は歴代のアメリカ大使のごひいきのレストランなんです。― ―」
(イベリアの雷鳴 108頁)
北都昭平は大日本帝国陸軍諜報員でスペインに駐在しています。ペネロペはレストラン«カサ・ルイス»で働く純粋無垢で美しい女性です。引用はペネロペが恋心を感じて初めて北都と交わす何気ない会話です。この会話をきっかけに、ペネロペは壮絶な人生を歩むことになります。ペネロペにとって大切なこの出会いを、読んだ時には感じなかったのですが、温かさを感じる場面として強く印象に残っています。その情景を今もしっかり思い出すことができるのが不思議です。印象深かった一節はこの他にもたくさんあり、小説読了後も私の「映像」がいくつかあります。
私がイベリア・シリーズの虜になった理由の一つがここにあるのです。小説の舞台にいるような気分で読み進む、読書の楽しみを満たしてくれる小説なのです。
アクションシーン
「何を言うの。提督を殺すなんて、聞いてないわ」(ヴァジニア)
― 中略 ―
「そんなことは、関係ない。おれは提督を殺す、と約束したんだ」(フレーベ)
ヴァジニアがその体に飛びつこうとした時誰かにすごい力で押しのけられ、床に横倒しになった。
軍服を着た大男がフレーべの襟首をむずとつかむ。
フレーべの体が、あっけなく引き離された。大男はそのままフレーべの首に腕を巻きつけ、ぐいと締め上げた。
(鎖された海峡 548頁)
イギリス諜報員ヴァジニアが敵国ドイツに潜入しドイツ情報局長官カナリス提督との密談中、同行しているアメリカ諜報員フレーべが提督を殺そうとする場面です。ヴァジニアは殺すことを止めようとしますが、歯が立ちません。その場に軍服の大男が現れて提督を救出する場面です。
これだけの引用では伝わりにくいのですが、映画やドラマのアクションシーンさながらの勢いと躍動感を感じるながら読み進めることができる一幕です。
イベリア・シリーズではこのようなアクション・シーンが幾度も出てきます。中でもヴァジニアはこの事件の後、ピレネー山脈を超えて密かにスペインに入ります。彼女の国境越えのシーンはこの小説を通して一番の山場の一つと言って間違いないと思います。命をかけて危険を冒す緊迫感、愛情と別れ、私がどんどん引き込まれていったシーンは今も脳裏に蘇ります。
私がイベリア・シリーズにはまってしまったもう一つの理由、それがこのアクションシーンなのです。
諜報員の苦悩
話は変わりますが、北都はスパイです。彼が世の中の動きを的確に分析し、冷静に行動する場面が数多くあります。以下は北都がドイツ軍情報局トップであるカナリス提督との密談のくだりです。
「それはつまり、近いうちにドイツが対ソ攻撃を行うことを示唆しているのですか」(北都)
「さよう、六月半ばから下旬のうちに、戦端を開くことになるだろう」(カナリス提督)
― 略 ―
「お言葉ですが、暗号解読の事実を示す具体的な証拠が、何かおありですか」(北都)
提督は、首を振る。
「日本語が特殊な言語で外国人には理解しにくいと考えるのは、日本人の思い込みに過ぎない。日本語が分かるドイツ人はたくさんいるし、アメリカやイギリスも同じだろう」
(遠ざかる祖国 上巻 168頁)
日本軍の暗号は敵国にとって解読困難ではないか、という北都の問いに対するカナリス提督の言葉です。北都はこのやりとりから日本の暗号は解読されていることを確信していきます。さらに、アメリカが明らかに物質面で余裕を持ってドイツとやヨーロッパと戦う状況を現地での諜報活動から体感しています。北都はアメリカとの戦争に反対する意見を日本に上申しますが、日本軍は開戦し真珠湾に奇襲攻撃を行います。
北都が日本を外の世界から見て祖国を憂慮していることに、私は正直共感して読んでいました。当時の日本が原油の調達を継続できなければ大国としての地位を維持できなかったこと、これは史実です。その理由ゆえ日本がアメリカと戦争になったことも小説の設定ではなく、歴史上の事実です。当時の日本は実際に戦争を回避することができるのではないか、と北都は主張しています。実際に話し合いの選択肢はなかったのでしょうか。
小説と自分の思いが混ざってしまいました。戦争が回避できていたらと考えているのは私です、念のため。
優しさと思いやり
イベリア・シリーズ完結編「さらばスペインの日々」巻末に「作者自身のエピローグ」が掲載されています。ここにヨーロッパ戦争と太平洋戦争をスペインから見た目で描こうとされている作者の考えが記されています。北都昭平を通してヨーロッパから見える日本を伝えることが氏の狙いだったと私は理解しました。私自身が北都になったような気持ちで小説にのめり込んでいたのは、まさに作者の意図通りだったのかもしれません。
北都昭平の活躍と併せてイベリア・シリーズ全書に一貫していることがあります。それは全ての登場人物が「思いやり」を忘れず行動していることです。本記事中段で引用しているカナリス提督はヒトラー率いるドイツ帝国の重鎮です。小説に登場する提督は強面の上官ではありません。押し付けがましさや見返りを期待する欲目を全く感じさせることなく紳士的な言動に終始します。
在スペイン日本陸軍駐在武官、在スペインアメリカ人諜報員他の登場人物も同様です。実在する人物も登場しているのですが、小説では国の対立よりも人を大切にして思いやろうとする言動に終始しています。困っている人を救おうとする気持ち、優しさが私の心を温かくしてくれました。言い換えると、全体を通して戦場の悲惨さや過酷さを思い起こす場面からは距離をおいた展開でした。作者のお人柄が滲み出ている小説と感じています。
おわりに
最後に、イベリア・シリーズは女性スパイのヴァジニアと北都の愛の行方が物語の軸になっています。本作品の影の主人公、イギリス人諜報部員ヴァジニアはスペインで北都と知り合います。北都もヴァジニアも相手が諜報員であることに気付いていますが、時を経て愛が深まっていきます。激動する世の中に揺れ動く敵国人同士のロマンスに注目です。私はヴァジニアから女性の強かさを感じました。この小説を読み終えた方はヴァジニアの行動からどんな印象を持たれるのでしょうか。
逢坂剛さん、すばらしい小説を創り上げてくださってありがとうございました!
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