モネ 「睡蓮のとき」
クロードモネ展に行ってきました。開催場所は国立西洋美術館、上野公園前の好立地です。平日午後3時前にもかかわらず盛況で、チケットカウンターでも展覧会場入口でも列に加わって順番を待ちました。当然ながら入場すればどの作品の前も人だかりです。解説のヘッドセットを付けた人も学生さんも老夫婦も展示作品一つひとつをじっくりと鑑賞しています。
翻って私は、原田マハのアート小説に触発されて自分の目で見ておきたいという興味本位の観覧者です。じっと見入ることなくそれぞれの作品を数秒眺めると次に移動している私でした。熱心に鑑賞している愛好家の皆さんに爪弾きにされそうですが、印象派云々といった美術知識の刷り込みは私にありません。そんな私ですが、数点の作品の前で立ち止まりました。
- 睡蓮、夕暮れの効果
- 睡蓮とアガバンサス
- 睡蓮の池
併せて、この展覧会を観るきっかけとなった小説の一節を引用します。
<原田マハ「モネのあしあと」プロローグ>
ちょっとびっくりするような大きさの<睡蓮>でした。圧倒的で、空間を一変させる力があり、世界が変わってしまった感じがしたのです。
どれも睡蓮が今にも動き出しそうで印象に残っています。原田マハさんが記す圧倒的な力とは別の、絵画の力に触れた気がしました。多くの方に愛される芸術家であることに納得です。
モネ 「連作の情景」
モネの作品は今年(令和6年)春に大阪中之島美術館で観ています。大阪に用があって空き時間にたまたま立ち寄った展覧会がモネの作品展でした。今更ながら、3月の展示会情報を整理すると、中之島の美術館で観たモネ展は、初期から後期代表作品まで生涯にわたるモネ芸術の世界を感じることに焦点を当てた展覧会とあります。今回上野で開催されている、「睡蓮」作品を集めた展覧会とは少し趣が違うようです。中之島でも私はそれぞれの作品に見入ることなく鑑賞していましたが、ひとつだけ記憶に残る作品があります。
・モネのアトリエ舟
澄んだ水面に映る逆さの小舟や木々の、何ともいえない美しさに見とれていた作品でした。ただ、綺麗だなぁと感じましたが人に伝えたり作品を調べたりといった積極的行動は取りませんでした。
<画像掲載控えます。様々なWeb上のアートギャラリーに載っています。>
モネ 睡蓮、夕暮れの効果
それにしても、数ヶ月の間に同じ作者の絵画を観た一人の人間、私がモネの絵に全く違う印象を感じるのはどうしてか、少し考えてみました。
まずいえるのは、小説家原田マハの書物を知る前と後との違いです。夏頃から私はアート小説で人気の原田マハ小説に熱中しています。そんな私が原田マハさんに影響されて観たモネの絵に心を奪われていることはあり得ます。とはいっても私はいい歳の大人です。それにモネのことをほとんど知りません。絵画と美術に詳しい原田さんの好みまで影響を受けることは畏れ多いと思うのですが。。
また、私の心を動かす作品が展示されていた、ということも理由になりそうです。確かに東京で鑑賞した作品は世界的に有名な名画が多く含まれています。印象派の巨匠作という先入観を持っていなくても心に刺さる作品に出会うことは十分にあり得ます。
理屈は後からどうにでもなります。どうして違うのか、私の結論は仕事のスキマだったか絵に会うためだったかということです。東京での私は絵画に心が触れる「ゆとり」を持っていたことが違いに現れたように思います。大阪では自由時間とはいうものの、頭の中は仕事のことでいっぱいいっぱいでした。
つまるところそんな私はモネという画家の熱意にほんの少しだけ近づくことができたような気になっています。テレビを観る時も小説を読む時もこの「ゆとり」を持てば感じ方が豊かに変わるのでしょうか。そう信じて今「睡蓮、夕暮れの効果」をPCのスクリーンに映して眺めています。。
睡蓮が動く、心
「睡蓮、夕暮れの効果」を見ていて、以前訪れた南国の美しい浜辺が頭に浮かびました。白い砂浜に真っ青な空と眩しく輝く海、目を奪われる美しさです。とても素晴らしいこの景色を私はしっかりと記憶に残しています。
こんな風景は南の国で暮らしていた私でも写真やテレビでしか見ることがありませんでした。にもかかわらず、この時私は腕時計をチラ見しながら手にしているお酒を一気に飲み干していました。もし、睡蓮が動くように感じる心の「ゆとり」をその時持ち合わせていたら・・
自然が呼んでいる!海に飛び込んで楽園を満喫している私、を勝手に想像しています。。
お付き合いいただきありがとうございました
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